回顧2011




 今年はこれが1位という突出した作品がなかった。それはどんぐりの背比べという意味ではなく甲乙つけがたい、どれが1位になっても、どれが10位になっても不思議ではない、奇妙な年だったということだ。「ヒアアフター」の扱いは本当に困る。1位でもいいし10位でもいい映画の王者だろう。ただべステンに入れないとならない。だから中を取って5位。
 それ以外の映画も大同小異。10枚の紙に1本ずつ題名を記してシャッフルし、引いてもよかった。
 その中から強いて挙げれば「一命」だろうか。スピルバーグはアートフィルムと娯楽映画を(ほぼ)同時に撮ることでバランス(経営的に、精神的に)を保つことがあるが、「忍玉」と「一命」を撮った三池崇史は、今年、スピルバーグを超えた。「十三人の刺客」では確実にベストテン候補にはできなかったが、「一命」では力みが抜けて、凄みを増していた。
 園子温の2作品は、啓蒙されることは何一つないのだが、圧倒的エネルギーに押し切られる。また、ウディ・アレンの映画にも啓蒙されることは何一つないのだが(どちらもそのシナリオが啓蒙主義的なのでこのような前置きを記さざるを得ない)、その‘芸’に見飽きることがない。どちらも配役、役者の演技がいい。コリン・ファレルをこういう風に使うか。トム・ウィルキンソン、でんでんもよかったが、とりわけ大方斐紗子の怪演が強烈に残った。
 「モールス」はいろんな批評・感想を列挙・羅列する宣伝手法が取られたが、そのいずれも間違い・的外れだった。これは間抜けな男の話なのだ。間抜けな男というか、男という間抜けな生きものの。身につまされる。
 「モテキ」はテレビドラマを見たことがなくいきなりだったが、その導入部の演出はジョージ・ルーカス級だった。白昼ダンスシーンは「(500日)のサマー」に軍配を上げるが、映画は圧倒的に優った。その後、映画の公開に併せて再放送されたドラマ版を何本か見たが、もしテレビドラマの映画化でなかったら、あるいはぼくがドラマを見なかったら、もっと上位に食い込んでいた。
 「探偵はBARにいる」を思い出したので、「ゴースト・プロトコル」が圏外になった。
 「ミッション:8ミニッツ」も漏れたが、テロリストの涙が憎い演出だった。裁判も受けずCIAに殺害されたウサマビンラディンさんに捧げるワンショットだろうか。


 民主党は稀代の詐欺師に加え、大量殺戮者の称号まで得てしまった(有権者を騙してでも政権を奪ったら、あとは独裁的にやらないと何も決まらない。やったことはさておき、方法はヒトラー、金正日その他の独裁者を見習わないと意味がない。庶民のプラスになることをやってくれるのなら独裁でもかまわない(先のマニフェストどおりにやってくれたら独裁もよかったが、現在表明している方針は止めてもらいたい。やったらこっちはテロリストになるしかない)。先の大戦も今回の原発事故も、群盲が象を撫でるように、各自の持ち場で忠実に勤めを果たした結果、総体としては最悪の方向に行ってしまったわけだが。責任を負う船長がいなかったのが敗因だ。民主主義は緩やかなライン下りならいいだろうが、滝壺が目前に迫っているときには害こそあっても益はないばかりか命取りになる。で、いままさに滝壺が迫っている。今年原発についてさんざんなされた議論は25年前にすでにし尽くされたことだ。うまく船の舵が切れなければヒトラーや金正日の汚名を着せられるし、見事着岸できたら命の恩人として感謝される。そのリスクを誰も取ろうとせず乗員みんなで舵を右に切ったらいいか左に切ったらいいかわいわいやってるうちに滝壺に全員まっさかさまに落ちてしまう。乗員全員の意思が一致すれば申し分ないが、あえて他に異を唱えたくなるのが現代人の特性だから。福島の小学校では外が晴れていても校庭で遊べない。すでに核シェルターとなっている)。


 ぼくが選ぶ今年の漢字は‘序’だ。


 






2011候補作およびベストテン発表!



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