回顧2008

 今年もあと8時間ほどで終わる。とくに今年も記しておくことはないのだが、ぼくのファンのために…。
 映画はたくさん見ようと思っていたが例年並の本数だった。これは十月ぐらいから「篤姫」全50話(ぼくが見たのは49話だったが)を見ていたからということもある。ハードディスクレコーダーは番組録画には便利だ。ビデオテープなら何度か録画し忘れたであろうところをきっちり録画できた。「闇の子供たち」を見たあとで、ヒロインがこういう題材を扱った映画にも出るところに惹かれ、見てみようと思った次第。しかし、これまで大河ドラマをまともに見たことはなく、毎日放映される再放送も録画が溜まるばかりでしばらくは手をつけられなかったのだが、一つ、二つ見るとこれには引き込まれた。最初のころは一気見の状態だった。そのうち追いついて、毎晩仕事から帰宅して一話づつ見るようになったが、深夜なのにまったく眠くならず、随所に叩き起こされるような衝撃すらあり、就寝前のひそやかな楽しみだった。テレビドラマそのものを連続的に見たのは「ER」の第一シーズン(ジョージ・クルーニーが小児科医を演じていたころ)以来のことだろうか。とにかくシナリオと役者の演技がよく、テレビドラマを久々に堪能した。ちなみに再放送に気がついたのは第二話からで、第一話だけ見ていない。そのうちDVDを借りて見てみようと思う。
 映画で面白かったのは「怒りの葡萄」とか「大いなる陰謀」とか「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」とかいった社会派ドラマ。「怒りの葡萄」は初めて見たのだが、社会派として、芸術として、映画として大傑作だった。今年のベストテンに入れてもいいが、クラシックで別格なので。「大いなる陰謀」はロバート・レッドフォードらしい映画だった。その直球ぶりが強く印象に残った。ぼくは中学の卒業文集に尊敬する人としてブルベイカーと書いた覚えがある。「崖の上のポニョ」はメガヒット間違いなしだから早めに見ておこうと思い封切の翌日見に出かけたが(ポニョの歌がこれだけ人口に膾炙してしまうと到底見る気がしなくなる。早く見ておいて正解だった。「タイタニック」も初日に見ていてラッキーだったな、とよく思った)、秋葉原の無差別殺人の直後だったのでよけい沁みた。ラストで主題歌が始まった瞬間危うく落涙しそうに。今見たらその効果は乏しいだろうか。「トウキョウソナタ」は主演助演の三人がぼくと同学年ということもあり大いなる興味を抱いてチネチッタに駆けつけた。しかも向こうはあくまで役を演じるだけだが、こっちは映画で提示された諸問題がそっくり現実だから興味はさらに募った。取り得のカラオケのあとで廃材を乱打する場面や誰か私を引っ張ってと虚空に手を伸ばす名シーンなど随所に珍しく普通の人間にも通用するエモーショナルな描写がある。脚本は監督一人の力ではなく数人の共同作業らしく、コラボの良さが出ていた。「ラスト、コーション」はスクリーン全編にみなぎる禍々しさに加え、心理描写のロジカルなところが面白かった。ぼくは映画を見ているときから大江健三郎が昔テレビで語っていたことを思いだしていた。それは赤門をくぐってから校舎までの短い道のりにひしめく左翼のセクトのひとつに偶然のように入隊して、最後はその教義のために命を落とすという不条理について。しかしこの映画ではヒロインが最後に自分を取り戻すのである種のハッピーエンドと云える。中国共産党がこの映画を上映禁止にしたのも当然だろう。「28週後」には圧倒的なテクニックを思い知らされた。「ファニーゲーム」を静とするならこれは動だ。「ミスト」も「インディ・ジョーンズ」の脚本を没にされた恨みがこもっているのか、凄かった。「モンスター」はもし公開年に見ていたら間違いなく上位にいく。何よりシャーリーズ・セロンをたたえておきたいし、タイムリーでもあり普遍的に面白い映画だし、特筆しておきたい。裁判だとか独房とかのシーンは最小限で、悪態をついて終わるところもいい。「日本の歴史」とか「世界の歴史」とかを読んでつくづく感じるのは、悪い星の下というものは確実に存在するということだ。同時にいい星の下というものも確実にあって、結果として人類はこれまで生きながらえてきたんだなということだ。大昔はいまとは比較にならないぐらい大勢の不幸な人間がいたが、同時にまた幸福な人間も確かにいたということだ。強いて今年の女優賞を上げるとしたら綾瀬はるかだろう。ぼくが見たのは「ザ・マジックアワー」「ICHI」「ハッピーフライト」だったが、三本それぞれ別人だったので。マキノ雅弘の映画はジャン・ルノワールの映画同様、最終的には全部見たいと思う。
 小説はJ・M・クッツェーを初めて読んだが一発でファンになった。最初に読んだのは「恥辱」だが、教え子をたらしこんだ大学教授が職を追われ、田舎の娘の下に身を寄せたらそこではひどい暴力に遭うという悲惨なストーリーなのだが、主人公の意識の強さがこの話をシリアスなものではなく明るい人生賛歌にしている。なんというか、おじさんに元気を与える小説とでも言ったらいいだろうか。もっとも、街でいきなりテレビカメラにおじさん呼ばわりされたらそいつらを殴って逃げると思うけど。 その他「マイケル・K」「夷荻を待ちながら」を読んだ。「夷狄を待ちながら」は主人公の蛮勇に打たれる。「マイケル・K」はオールタイムベスト級の感動。
 ケルアックの「路上」も今年初めて最初から最後まで読み通した。しかも読んでいる間、無上の幸福を覚えながら。今年新たな文学全集が発刊されて、「路上」は「オン・ザ・ロード」と名を変えてそこに収められているが、そういえば持ってたなと思い、実家に行ったとき書庫から文庫本を見つけ出してきて読んだのだ。二十年近く前に買ったときは六十ページくらいまで読みかけてそれっきりだった(当時の栞がわりのスーパーのレシートが挟んであった)。ぼくが本を読むのはいまは大体東急田園都市線の殺人的な満員通勤電車の中だが、この小説はいま読む本だった。親の脛を齧って暇を持て余す無職の若者にはこの自由はなんら魅力的ではなかったというわけだ。読んだあとは単純にアメリカに行きたいと思った。
 またその隣にあったミルチャ・エリアーデの文庫本「ホーニヒベルガー博士の秘密」も持って帰って最後まで読んだ。そして「セランポーレの夜」ともども面白かった。これも二十年前は読めない類の小説だった。そのアイデア的な退屈さゆえに。村上春樹も二十代のころはまったく受け付けなかったが、同じ理由による(今年出た春樹訳の「ティファニー」と「ペット・サウンズ」は友達に借りて読んだ)。二十代のころは小説は面白くなければダメだと思っていたが、三十も半ばを過ぎて、小説は面白くなくてもいいというある種の諦めの境地に至ったからだと思う。「指輪物語」を読破できたのもその境地ゆえだろう。「令嬢クリスチナ」も図書館で借りてきて読んだが、これも実に面白かった。
 あとはブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」を読んだ。これも「オン・ザ・ロード」と同じ全集から出たのだが、珍しくそれをジャケ買した(その後、「鉄の時代」もまったく同じ装丁で出されたが、それはジャケ買いというわけではなかった)。戦前に書かれた作品だが、つくづく多くの作品に影響を及ぼしているという気がした。マジック・リアリズムもハリー・ポッターもこの作品がなければ違うものになっていただろう。悪魔の登場の仕方や造形が楽しいし、悪魔たちが繰り広げる悪戯がとにかく楽しい。前半の面白さはただ事ではない。出だしには戦慄を覚えた。ただ悪魔の舞踏会のあたりでぼく的には失速する感を味わった。マルガリータと巨匠を悪魔が擁護する展開は安易な気がする。その代わり命を捧げるとしても。安易な展開を悪が善に救われるというテーマ(それを手助けするのが悪魔だから入り組んでいるように見えるが)で必死に補おうとしている印象。それでも至福の読書だった。
 それとミシェル・ウェルベックも初めて読んでみたが面白かった。「素粒子」だが、一種のSFのサービスまでついている。この小説は日本で起きている新聞記者やテレビのニュースキャスターが不条理の一語で片付けるしかない各種テロの原因が端的に書かれている。おそらくそれをはっきり書いた初めての小説だろう。
 






今年初めて見た映画



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