回顧2006


 相変わらず庶民の暮らしは先行きの暗さをますます明示するような一年だった。
 職も住む家も失ってホームレスになるかもしれない可能性も一段と高まった。いまの政策というのは要するに宝くじをひとつぽんと投げ与えておくだけなんだと思う。そうすれば確かに何人かは豊かな生活が送れることになるだろう。しかし確実に貧しいままの人間はその何万倍、何千万倍も存在することになる。宝くじの高額当選金の本数はごく僅かだから。くじが外れた人間についてはもう一回宝くじを買えと言うだけであとは特に何もしない。うまいものを食って海外旅行に浮かれる人間の姿をマスメディアが取り上げることで豊かさの錯覚が生まれる。そういう詭弁政策を続けていればいまにきっとかつてない回復不能の破滅がもたらされるだろう。
 それでも危機感は何ら感じない。おそらく二十歳よりもあとの生が余禄みたいなものだからだろう。北朝鮮の核ミサイルもぼくにしてみればアロマテラピーやリフレクソロジーのような癒しの側面が強い。核兵器の派手さに目を奪われがちだが、日本の原発が50基を超えているらしい。チェルノブイリのとき学生で、たまたまゼミがソ連経済論だったので卒論の題材にしたが、その後社会に出てからは何かと忙しくて忘れていた。何年か前に東海村で放射能が漏れて犠牲者が出たが、あのとき東京の人間の何人が損害賠償を請求しただろうか。放射能のスケールと人間の感覚のスケールで絶望的な乖離がある(もちろん放射能の実態とそのイメージとの乖離についても深刻だ。放射能による死は惨たらしさを極める。DNAが破壊され細胞死が起こるため身体が縮むらしい。言うまでもなく手の施しようはない)。北朝鮮の核ミサイルの前にまず原発だろう。それは将来必ず壊れていく。時限爆弾だ。
 今年もいろいろあったが、世間一般のことについてはテレビ・雑誌の総集編に委ねればいい。
 小説で面白かったのはカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』。けっしてイシグロの最高作ではないがやはり骨の髄まで感動した(というか『充たされざる者』を超える作品は一生書けないと思う)。一言で言えばこれはスカーレット・ヨハンソンの『アイランド』と同じクローン人間ものだが、小説のアイデアというのはそういうものではないということだ。村上春樹の『東京奇譚集』も地味な奇譚4つのあとで見事な「品川猿」だった。最初はポーもしくはラテンアメリカ文学かに思わせて紛れもない春樹文学に着地した。それからハロルド・ピンター全集を買って読んだ。最初は図書館で借りて読み始めたのだが、次第に猛烈な所有欲に駆られ、調べたらノーベル文学賞受賞記念で復刻されていた。箱入りで全3巻九千円という手ごろな値段だった。ピンターの名前は二昔以上前から知っていたが、紹介の仕方のせいで読まずにパスしていた。それが今年友人から借りたイギリスのブルースマンのライブ番組にエリック・クラプトンが出てきて、俺達二人はピンターの愛読者ということでつながっているという発言があり、俄然読みたくなったのだった。ちなみにそのライブ番組はピンターがノーベル賞をもらうより前で、つまりはイギリスではピンターがいかにポピュラーかということだろう。少なくともドナルド・プレザンス主演の「管理人」という映画は日本では見ることができない。公開されたのか絶版なのかまったく分からない。影も形もない。とにかく高校生のとき『乱れ撃ち涜書ノート』に紹介された本でピンター以外は全部読んだといういま40前後の人は直ちにピンター全集を読んだほうがいい。さもないと損をする。これもスウィフトやモンティ・パイソンの国の作家だった。年末に本屋で偶然ガルシア=マルケスの新刊が出ていることを知ったのはいいとして、そのとき数年前にも新刊が出ていたことを初めて知ったのはショックだった。来年はその待望の2冊を楽しんで読もうと思う。マルケスの小説もまた、小説とは何ものにも還元されえないものだということを教えてくれる。バルザックやディケンズみたいな19世紀の新聞小説とは似て非なるものだ。一線を画するといってもいい。普通の小説を読んで面白い表現があると差し上げる1マルケスという貨幣単位の源だが、要は数えるほどのマルケス度しかないということだ、一般に小説と呼ばれているものは。
 映画は若尾文子の発見と小津安二郎の再発見というのが今年銘記することか。小津はTSUTAYAの半額レンタルでリマスター版のDVDを全部借りたが、とても画質がよかった。カズオ・イシグロの初期作品の親子の会話は小津の影響を強く受けているような気がする。若尾はやはり増村保造監督だ。つまり今年は増村保造の発見でもあった。その面白さの秘密はドラマだとしか言いようがない。しっかりした脚本の存在だ(緻密でなくてもいい)。クリント・イーストウッドの二本は『硫黄島からの手紙』が大胆で直接来る。二宮たちが中村獅童に斬られそうになるところで栗林が駆けつけるところなんてハリウッド映画ならでは。こういう運動神経は少し昔の日本映画に欠けていた部分だが、新しい『日本沈没』はアクションがよくできていた。アクションの有機的連関がアイデアとカタルシスをもって具現化されていた。『麦秋』で原節子が近所に住む杉村春子の息子に嫁ぐことを了承するシーンも運動神経が高く感動した。小津も若い頃はハリウッド映画に憧れていた。二十年前にも銀座の松竹シネサロンで見ているが、こんな場面すら忘れている。『硫黄島』のサントラを担当した実子・カイル・イーストウッド共演の『センチメンタル・アドベンチャー』も見たが、かっとんだカッティング。今年見た映画はこれだ!という作品がなく、ベストテンが選べるか危惧していたが、とりあえず印象的なものだけを拾っていくと余裕で十本を超えた。当サイトのベストテンは今年公開された映画ではなく今年見た映画の中から選ばれる。制作年度は関係ない(何となく関係してるかも。たとえば小津やワイラー、ワイルダーの作品にはどこかでハンデを付けていることはたしか。もしそうでなかったらマスターピースで占められることになるし、いつの時代のベストテンなのかわからなくなる)。また、かつて見ている映画は対象外。年月が経って再見する方が感動することも多いが。スピルバーグの『ミュンヘン』を見たあとミュンヘン五輪のドキュメンタリーを見たが、爆笑した。ドタバタだ。実際、当時のことを語る関係者も溜まらず噴き出すほど。ドイツ人は時計のようにクールで完璧という従来のイメージを覆すような失態。日本政府もいい加減だがドイツ人はそれよりひどかった。今年前半はワールドカップを初めて見たこともあり、ドイツ零年になりそうな気配があった。日本が負けてからは見なくなり、どこが優勝したのかも知らないが。尤も興味を抱いたのは大会前にウクライナのシェフチェンコ、ドイツのバラック、アンゴラのアクワ、ブラジルのロナウジーニョをフィーチャーしたNHKスペシャルを見てドラマが生まれたからだった。リニア・モーターカーの死亡事故。旧ナチス党員だったギュンター・グラス。『ブリキの太鼓』は映画に感動して全部読んだが、映画の面白さに比べ小説の印象は希薄でいまは何も残っていない。『ヒトラー最期の12日間』。ベルリン・廃墟の詩。ヒトラーの周りにはキャラクターが集まった。そこが金正日とは違う点だろう。究極の選択として戦争に巻き込まれたらアルベルト・シュペーアの立場に身を置くことが一番マシだろう。シュペーアはヒトラーの唯一の友人だったとも言われている。その人物像はこの映画でも的確に描かれていた。ナチスはアーチストが政権を握ったモデルケースと言えるだろう。『ベルリン・天使の詩』も再見したが、傑作の思い新た。シャマランの新作は変な感動をした。今後何回か見るごとにだんだん傑作になりそうな気がする。あのアパートも全部セットらしいが、この映画を象徴するエピソードだ。『16歳の合衆国』から今年最も印象に残ったセリフ。
作家「おまえは作家になれない!」
作家志望者「だがまともだ!」
 ベルトルッチは女優の描き方で他の監督にも見習ってもらいたいところがあると思うが(その忠実な後継者としてアトム・エゴイヤンは評価できる)、エヴァ・グリーンには新『007』の予告篇を見るまで気付かなかった。それで『ドリーマーズ』に出ていたことを思い出し 多少の期待を持って見たのだが。『カジノ・ロワイヤル』はピーター・セラーズ、ウディ・アレンの映画は最高だが、新作もかなりよかった。映画に点をつけるとき見る前の期待度というのが大きな意味を持つ。期待作が面白い場合と全然期待していなかった映画が面白い場合とでは後者の得点のほうが高くなる。『グエムル』はものすごい期待大でかなり不利だったが、とんでもないことが起こった。序盤から三分の一強までひどい期待外れで暗澹たる気分に陥らせておいて中盤からぐんぐん盛り返し最後は傑作として印象付けることを一本の中でしていたのだ。『LOFT』と『セルラー』の監督の新作はパンフレットだけ買っておいた。来年DVDになったら見る。「黒沢清の映画術」は買って読んだ。黒沢監督お奨めの中央公論社版「日本の歴史」全26巻も今年無事第26巻を読み終えた。第1巻を読み始めたのが2002(平成14)年の8月だから4年以上に亘る読書だったわけだ。もっとも家では読まなかった。読むのはもっぱら通勤電車の中だった。さらに車で通勤する時期もあったりして随分長い時間がかかってしまった。振り返ってみればそれは百姓(昔は農民という意味ではなかったが)がいかに騙され収奪されてきたかの歴史だ。前世占いで乞食だったからなのかぼくは吟遊詩人たちの記述に一番惹かれた。各巻で著者が異なるが一致していたのは合戦・戦争の描写に異様に筆が冴えることだった。俄然冴え渡っていた。太平洋戦争はそんな日本の歴史のクライマックスだった。いまは昔よりマシと言えるが、歴史はまだまだ実験を終えていない。終わらせてはいけない。今年のオスカーは作品賞は『クラッシュ』だったがそれも本来は『ブロークバック・マウンテン』だろう。たぶんあからさまなゲイムービーと違って普通の妻子ある男がゲイにはまる可能性を正面から描いた点が保守的な会員に拒否反応を催させたのだろう。恐怖と笑いが渾然一体となって大自然を背景に愛が宇宙的な次元に到達するような感のあるこの映画は『クラッシュ』とは明らかに格が違う。それとアン・リーもさりげなくベルトルッチの後継者だった。『ナイロビの蜂』は期待値が高過ぎたがために点が辛くなった典型。『ホテル・ルワンダ』も高く期待していたが『ナイロビ』ほどではなく、その期待値通りの作品で事実と娯楽が見事にまとめられていた。ラジオから流れる虐殺を煽る声と、命を救う魔法のような賄賂が心に残った。父がくれる株主招待券を消化するためにシネマミラノ改め新宿ミラノ3で見た一連の日本映画も期待値が低いからというわけではなくとても面白く楽しめた。やはりこの現象は隣の韓国映画に底上げを強いられた結果だろう。『手紙』もベストテンには入らないが(またそんなものは製作者の側から拒否しているような強い意志が感じられるが)、ラストは『キング・オブ・コメディ』に匹敵するような感動があった。あの展開の仕方でこれだけ人の胸を打つというのはとりわけ役者の力に預かるところが大きい。その場その場のシナリオはいいのだ。ただあれを有機的につなぐとなると3時間ぐらいは必要だろう。であればこのように大胆な語り方が正解なのかもしれない。『手紙』は今年の影のベストワンといったところだろう。年末にクローネンバーグの新作を駆け込みで見て、前作のテーマをより深化させるだけでなく、娯楽度も大幅アップでベストテン入り。

2006映画ベストテン

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